【感想】東野 圭吾の『手紙』を読んで

東野 圭吾『手紙』を手に取った理由

東野 圭吾さんの『手紙』を読んだ。7年ほど前、読書を始めた。その当時に読んだ本の一冊。以来、東野圭吾の作品は『白夜行』『秘密』『流星の絆』『変身』など、何冊か読んだ。その中でもダントツ、いや東野圭吾にこだわらず今まで読んだいくつもの本の中でも、かなり上位で好きな作品。しかし、かなり前に読んだからか、最後のシーンを読んだときの感情しか覚えていなかった。そこで久々に手に取った。

『手紙』概要

強盗殺人の罪で服役中の兄、剛志。弟・直貴のもとには、獄中から月に一度、手紙が届く……。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人犯の弟」という運命が立ちはだかる苛酷な現実。人の絆とは何か。いつか罪は償えるのだろうか。犯罪加害者の家族を真正面から描き切り、感動を呼んだ不朽の名作。
文藝春秋BOOKSより(https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167110116

『手紙』を読んだ感想(ネタバレあり)

本作は、犯罪者の家族(加害者家族)の視点で物語が進む。主人公・直貴が高校生だった頃、兄が弟を思うあまり強盗殺人を犯してしまう。その後、直貴は兄の存在を隠しながら生きるものの、いろいろな場面で「兄貴が犯罪者」とバレて、影を歩くように静かに生きるしかなくなった。

大学進学を諦めて働きはじめても、彼女と良い関係を築いていても、ことあるごとに兄の刑務所からの「手紙」によってバレてしまう。直貴なりに頑張っていても「犯罪者の家族」という世間からの目は変わらない。

このように「加害者家族の視点」で話が進み、私の中にも同情の気持ちが芽生えてきたころ、物語は転換を迎える。結婚して子どもができて、奥さんと子どもがひったくりの被害にあい、直貴は「絶対に許さない」という感情を抱いた。愛する家族が被害者になった瞬間、直貴の視点も「被害者側」へと反転したのだ。かつて殺人犯の家族として苦しんだ直貴ですら、被害に遭えば激しい怒りを抱く…。この対比をつきつけられて、「どんな理由があろうとも、犯罪は決して許されてはならない」というメッセージを感じた。

兄は強盗殺人というあまりにも思い罪を犯してしまったが、それは弟・直貴に大学へ進んでほしいという愛情からくる強い想いによるものだった。兄は決して悪い人ではなかった。弟を可愛がり、大学へ行かせるために引越し作業に精を出していたものの、体を酷使するあまり痛めてしまい仕事ができなくなってしまった。それでも「どうにかして大学へ進学させたい」という思いで、盗みを働いてしまった。結果的に殺めてしまったが、当初は単に盗みを働こうとしていただけだったのだ(盗みももちろん良くないが、当初は単に盗みを働こうとしていただけだった)。その経緯を考えると、弟も早めの段階で何かできなかったのかと悔やまれる。「犯罪はダメ」という前提は根本にあるものの、「どうにか直貴に普通の生活・幸せを与えてやってくれ」という思う気持ちが随所で湧き出てくる。

最後に直貴と友人が、刑務所を訪れて慰問コンサートを行うシーン。そのときはすでに兄と絶縁していた直貴だが、兄の姿を探す。そこで見えたのは、坊主頭で静かに胸の前で合掌をする兄…。歌うはずの直貴は、歌いはじめることができず…。と、ここで本作は幕を閉じる。